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炭水化物ダイエットは危険 [社会]

私の知り合いに「炭水化物ダイエット」をして死かけたので止めたという人がいる。

自分のベスト体重から10キロも太ったので、単純にダイエットのつもりで「米」を食べないのを一ヶ月続けたそうだ。すると、フラフラで倒れそうになり、「このままでは死んでしまう!」と感じたので止めて、普通の食事に戻したのだとか。

私はパンを食べないのを何ヶ月も続けているが、死にかけてはいない。これが、パン(小麦粉)を常食とする欧米人なら違うのだろう。やはり、日本人なりのルーツとなる食事があるのだろう。


武田教授のブログを転載→〔自分の健康2:「体に良い食事」などない〕



は必聴です。約10分で今後の自分の食事の方向性が見出せます。


最近は、〔玄米に生卵と醤油〕〔豆腐に醤油か味噌〕と〔味噌汁〕これさえ、あれば至福の食事と感じる現代版縄文人である。たまに、味噌汁に炊いた玄米を入れた〔おじや〕も最高と感じる昭和なおやじである。


マスコミにだまされず、自分を信じて・・・違った・・・武田教授を信じていきましょう!

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おじや [社会]

私がここ数ヶ月ハマっているのは「玄米雑炊」だったのだが、これは間違いで「玄米おじや」だった。


〔何が違うの?おじやと雑炊の違いとは?〕→http://tg-uchi.jp/topics/3825


最近の研究では、日本人は1万年前から米を食べていたのだとか。というのも一万年前の縄文土器に米が付着していたのだとか。私たちが小学校の頃習った歴史(弥生時代に米作りが大陸より伝わった)とは異なるが、米作りに従事している私としてはこの話を聞いて、米作りの大変さを知っているだけに(縄文遺跡でみる集落が集団生活をしていた様子なので)身体で理解した感じであった。(歴史とか教科書というのは戦争の勝者によって書き換えられるので要注意である!)


その頃(1万年前)に思いを馳せるとだが…今のように「ご飯」は「ご飯」、「おかず」は「おかず」で無かったように感じる。一つの土器でお米(=玄米:精米は江戸時代後期なので白米では無い)と取れた根菜類とかを一緒に火で煮ていたのではなかろうか?

何故そう思うのか?というか感じるのか?というと…ここ数ヶ月(てかカレー粉と玄米を一緒に炊くのを含めると、ここ数年)玄米雑炊にハマっているからである。(雑炊とおじやの違いを知ってからは「玄米おじや」に訂正しないといけない)

何故、そこまでハマるのか?というと、勿論美味しいからなのだが、何か遠い記憶が求めているというか喜んでいる氣がするのだ。だからまた同じものであるのに食べたくなる。昔(縄文時代)は今のように毎日毎日、違うものを食べていた訳ではないと思う。当時はそれしか無かったから仕方なかったものの、現代では、コンビニに行けば2千種類、スーパーに行けば数千種類?の食べ物がある。何を食べても自由な時代なのに。私は毎日同じ食べ物なのだ。何故か?それは、太古の遺伝子が現代の飽食時代に警鐘を鳴らすべく、そのことをこのブログで日本人に知らしむために私に求めているのではないだろうか?


ちげーよ!お前の味覚が変わっているだけだよ!

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日本文化の良さ [社会]

「かたじけない!」とか「ごっつぁんです!」とか日本語特有ワードはある。私たちが使うことは無いが、今でも昔の神事とかしきたりを守っているのが相撲である。


先日の横綱 日馬富士の暴行事件や横綱 白鵬の審判の行事に対するアピールには素人でも納得がいかない。日本人は「仕方無い」という文化があると私は思う。それを、日本人では無いから受け入れられないのであれば、引退ではないのか?ここは日本なのだから。そして日本文化としての「国技」なのだから。横綱だから何をしてもいいのか?(社長だから何をしてもいい!のか?ちょっと違うと思う。私は小さい世界ではあるが、もの申して自ら辞めた口である。)何故貴乃花親方を責めるのか?攻めるべきは・・・横綱「日馬富士」とその親方ではないのかか?私は次の理事長選挙には貴乃花親方に一票投じたい!マスコミの悪意を感じる。


〔白鵬、軍配に「物言い」 弓取り式開始後も土俵に立ち尽くす〕※産経新聞より転載
福岡国際センターで行われている大相撲九州場所11日目の22日、結びの一番で横綱白鵬が関脇嘉風に寄り切りで敗れた際、納得がいかない表情で立ち尽くし、場内が騒然となる一幕があった。

 前人未到の40度目の優勝を目指す白鵬。ここまで10連勝で、気合十分の立ち合いだったが、踏み込んでこなかった嘉風にもろ差しを許した。直後に、待ったと言わんばかりに脱力したが、立ち合いは成立。そのまま一気に土俵の外に押し込まれた。

 しかし白鵬は腰に手を当てて土俵に戻ろうとせず、土俵下で約1分間、右手を挙げながら審判にアピール。物言いは付かず、嘉風が勝ち名乗りを受け、弓取り式が始まっても、首をかしげながら、土俵にとどまったまま。花道を引き揚げる際には、付け人から差し出されたタオルをはねのけるなど、怒りは収まらなかった。

 白鵬は「納得いかないというのはない」と平静を装ったが、「呼吸が合わなかった」と未練を見せた。嘉風は「ふわっとした立ち合いをひらめいた。横綱が力を抜いたが、(立行司の式守)伊之助さんが『残った』と言ったので、行っていいんだと攻めた」と顔がほころんだ。

 八角理事長(元横綱北勝海)は「勝負に対する執念の表れだが、潔くね…。待ったと思ったのか、自分で判断してはいけない」と苦言を呈した。

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私の中の母性の発露 [社会]

普通、父親というのは、子どもに対して威厳があったり、時に厳しい事も言う嫌われ役だったりするのだと思う。

私の場合、息子が小学4年生の時に離婚を決意。というのも、離婚した経験のある先輩に相談すると・・・「私の知り合いに、子どもが思春期の時に離婚したケース(複数)をみると、子どもが転落人生になっている。」とのこと。引きこもりになった子どもや非行に走る子ども。それだけ、思春期に親の離婚は子どもにダメージを与えてしまうのだろう。思春期に入る前に何とかせねば・・・と。

それから約10年。調停離婚により裁判所の決定で月に一度の面会が認められている。それも20歳まで。ということは息子とは後、4回しか会えないのだ・・・と考えると寂しくなった。

月に一度の面会日には、子ども達が欲しいものを買ってやり(おじいちゃんの心境である)、子どもたちが食べたいものを食べに行く。あれはダメ、これしてはダメとか言ったことが無い。それだけ貴重な時間だから、良い思い出を作ってやりたいのだ。親が「勉強しなさい!」と言っても子どもは勉強しないのを知っているので、私は子どもに「勉強しなさい!」とか言ったこともないが、息子は理系の高専に進学し良い意味でマニアックな感じになっている、娘も進学校に進み大学受験勉強中である。月に一度しか会えないので出来るだけ「褒めて」過ごしてきた。

その反面、母親は大変だったのかもしれない。本来の父親の役割である厳しさをも子供達に見せてきたのだろうか?と推察する場面に遭遇した。(といっても回想シーンだが)

先日の高専の息子のバンドライブに母親には「体育館に入らないで!」と言ったのだとか。(娘の証言)私には、事前(一ヶ月前の面会時)にコピー演奏するバンドの名前と曲名と曲順まで教えてくれた。「友達と一緒に観にいくからね!」と伝えると「マジで!?」と照れ笑いしており、否定はしなかった。なのでライブ当日まで、演奏曲順のCDを作り、予習し聞き込んでいくことが出来たので、知らずに行くより断然よかった。

もしかして私と元嫁とは父性と母性が入れ替わったのか?と思ってしまった。

「人間万事塞翁が馬」ではないが、何が災いで何が幸いするのかも人生はわからない。

なので、人生は最後まで諦めずに、生きていきましょう!きっといいことがあるはず!


私の知り合いに、娘さんが思春期途中で離婚してしまったが、引きこもりや非行に走ること無く、今では立派なお母さんになっている場合もあるから前述の話は、あくまでも一例ということです。でもその知り合いも強い母性の持ち主なので、やはり・・・子どもにとっては「母性」が大事なのかもしれません。

男であっても「母性」はあると信じている。「母性本能をくすぐられる」と言われたことはあるが(笑)、まさか私自身に母性本能が宿るとは思ってもみなかった。

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男性に母性本能はあるのか? [社会]

お店の中で、幼稚園児たちが「キャッ!キャ!」と走り回る。


店員の私は、微笑ましく見守る。しかし、もう一方の独身店員は「キンキン」と耳障りだと台風が過ぎ去るのを待つ心境なんだとか。


私の息子娘はもうそろそろ手が離れ、何だか幼稚園児時代の子育てが懐かしく感じられるが、独身男性にとっては経験の無いことであり、一方経験しても、もうその頃には戻れない私にとっては心地良い響きなのだ。不思議だ。同じ現象を見て、同じ男なのに、こうも感じ方が違うとは!?もしかして男性にも母性本能があるのか?と思ってしまった。


男性が母性本能を持つ象徴は「田中角栄」である。私の知っている名言はこれしかない。

エリート官僚(東大卒)を前にして大蔵大臣になった角栄が「私が田中角栄だ。小学校高等科卒業である。諸君は日本中の秀才代表であり、財政金融の専門家ぞろいだ。私は素人だが、トゲの多い門松をたくさんくぐってきて、いささか仕事のコツを知っている。一緒に仕事をするには互いによく知り合うことが大切だ。われと思わん者は誰でも遠慮なく大臣室にきてほしい。何でも言ってくれ。上司の許可を得る必要はない。できることはやる。できないことはやらない。しかし、すべての責任はこの田中角栄が背負う。以上」

それまで、斜に構えて「この小学校出が何をしゃべるのか?」と待ち構えていた東大卒のエリート官僚たちの心を鷲づかみにして変えていったのだ。

「すべての責任はこの私が背負う!」なんとカッコいい言葉だろうか?!これは父性であり、母性でもあると私は感じる。子どもの前に盾となり、他からの攻撃から守る父性と、子どもの全責任を負い内から守る母性の発露。私はこの話を聞いた時、学歴社会なんか関係ない!と感じたものだ。今の職場は高校中退の子どもたちもいるから、何とか勇気づけようと私なりにがんばっているが、大卒のあなたに何の気持ちが分かるのか?と言われてもおかしくない。でも学歴は関係なく素晴らしい人間を知っているのでその人たちを尊敬している。人より早く出勤して、早めに事前準備をこなし(いわゆるサービス残業であるが)、他の人と同じ作業をこなすが、経営者には何も言わない。今となっては大学まで出て、離婚して出戻り、私の方が学歴を言えない恥ずかしい人生に甘んじている。


人間は学歴では無い、(親は学歴が無いから苦労して、私達子供を大学までやらせたが)、大事なのは「母性」であろう。


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